急変
その後いったん心臓マッサージで蘇生ましたが、不整脈と上がらない酸素飽和度に悩まされつつ、人工呼吸器につながれた父は一進一退を繰り返していました。母は毎日自転車で数キロの距離を往復し病院に詰めて父を見守る毎日でした。
医師の皆さんは肺からの出血と血栓のリスクに挟まれた狭い道を模索し続けていましたが狭い道はより細くなっていくばかりでした。
4月も半ばに差し掛かる頃、母から電話がありました。
父が呼んでいるという事で、遠方にいる妹も呼んでいると聞き、抜けられない仕事をそれでも抜け出して病院に急行しました。
母だけでなく叔父夫婦も駆けつけていて、残された時間がもう尽きようとしているのを感じました。
妹は遠方から電車で来ることになっていましたが、それでは病院の面会時限に間に合わないことが分かりました。
そこで市内で宿を取って翌朝駆けつけようとしましたが、父が筆談で「それでは間に合わない」と難色を示したため、私が車を出して途中の駅で拾うことにしました。(線路は迂回していてショートカットできるため)
死期が迫っているためという事か、病院のICUの面会時間を気にしなくて良いと許可も下りました。
なんとか妹も間に合うことができ、2、3時間の筆談の後父は眠りにつき、私達も交代で休むことにしました。
その後1日かけて父の血圧と脈は下がっていき、さらに一日経った日曜日の朝に息を引き取りました。
私は日々の激務の中で、丸一日何もせずにいる日というものを何年ぶりにか得ることになりました。それが父の死の直前の1日だったことに今の仕事への疑問を感じ、もっと自分と家族を大事にしないと後悔するという思いを強くしました。
父が亡くなったその日から多忙な毎日が始まります・・・