転職:自分の人生の主役になる1

3度の転職

私はこれまで3度転職し、その結果少しずつ給料が上がってきましたが、別に私が年収アップのために積極的に転職活動を繰り返してきたわけではありません。
25年のサラリーマン生活の中では、むしろ遅く不器用に就職し、遅いタイミングで見合い結婚し、子供が作れるギリギリで授かるという、最終列車に滑り込み続けるような綱渡りばっかりでした。
転職にしても、いずれもやむを得ない理由でギリギリ底辺にしがみついてきたのです。

まずは新卒での就職から

私が大学に入ったころ、世の中はバブル景気でした。
学生寮の4回生の先輩は何社も内定をもらい、面接に行けば交通費が支給されるのが当たり前でした。就職が決まると新人にするとは思えないような接待がなされるという、夢のような時代でした。
しかし翌年バブルは弾け、次の先輩たち、その次の先輩たちと年々就職活動は厳しさを増していきました。
当時の私は自分のやりたいことを見つけられず、どこかに自分に向いた天職があるのではないか、そう考えながら何も行動しない学生ニートといっていい存在でした。
学業にも身が入らず、2度も留年しているうちに神戸で大地震が発生して、それでもボランティアなどに取り組むわけでもなく、ぼんやりと生きるだけの存在でした。
就職活動もほとんど数をこなすこともなく、どうせ自分は2度も留年して圧倒的に不利だと、行動する前から諦めていたような感じで、何社か面接(非常に人を馬鹿にしたものも多かった)を経て地元の青果卸売市場に就職しました。

転職1回目

最初の転職は7年前、もともと勤めていた会社の給与遅延が常態化したためでした。ちなみにこの会社は2020年に倒産しています。
私の社会人生活の最初は地元の青果卸売市場でした。
バブルが弾けて世の中がどんどん不景気化していき、厳しさを増していましたが、扱うものは食べ物なのですぐには影響を受けずにまだバブルの余韻が少し残っていました。
しかしその市場の仲卸は流通の栄枯盛衰の流れを掴むことができず、負債と廃業を重ねていきました。当然卸会社も売り先が消えて行って量販店への直接営業に変わっていく時代の変革期でした。
結局売り上げが落ちて仕入れ代金を払えない仲卸の入金を待ってあげたりしているうちに自分たちの仕入れができなくなっていったのでした。
卸会社の手数料は8.5%、通常の市場なら入金が滞ると1週間~1か月程度で、通常であれば「払うまでは買うな」と売り止めします。
支払いを待ってあげたりしてる余裕なんてないはずです。
市場に入ってくる金を自分たちの金だと勘違いしたのでしょうか。
市場が自分のものにできる金は仲卸が支払う全額ではなくて委託手数料の8.5%から経費を引いた約5%だけなのです。
経営者たちは結局仕入れ先に居留守を使ったり給与を遅延したりする一方で、「俺たちは当分給料をもらっていないのだからお前らも我慢しろ」とか「一人や二人死んでもいいから気迫をもって業績を上げろ」とか、言動がおかしくなっていき、これ以上付き合えないと思った為退職しました。私が退職した後も多くの人間が会社を去ったようです。

転職:2社目

前職をやめる際にいろんな取引先に挨拶をしたのですが、「行くとこ無かったらうちに来れば?」と言っていただいた会社があり、半年程度で就職活動の結果が出なかったらお世話になろうと思っていました。
市場を退職後3か月程度ハローワーク通いの失業者を続けましたが、人生を好転させるような仕事に出会うこともありませんでした。
失業生活が長くなると生活習慣が怠け体質となって働けなくなりそうだと思い、その会社へと移りました。
そこは小さい食品スーパーで、生鮮品に強みがありましたが一方で菓子や普通の食品(カレーとか調味料、小麦粉など)は弱点でした。また、魚屋はあちこちに鱗や汁を散乱したりと好き勝手やっているのを誰も止められませんでした。
春に入社したのですが、秋ごろには弱点であった一般食品の取引先が突然関係の解消を通告してきたため、別の筋からの仕入れを図りましたが、今まで扱ってきた商品が入らなくなるというのは大きなマイナスとなりました。
翌年の11月にスタッフが集められ、会社の事業を停止すること、そして店舗のうちの半分程度が地元のスーパーに組み込まれること、スタッフのうち希望者はそちらへ編入され、希望しない者は退職となることが告げられました。
転職して1年半で私は再び職を変えることとなったのです。
後へ続きます。

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