父の思い出 1

ずっとタバコを吸っていた父

父は地元の金融機関に勤めていました。
日本が貧しかった時代からどんどん豊かになり、やがてバブルが崩壊して失われた20年に突入する頃、理事にまでなりましたが、数年務めると隠居しました。
当時の金融マンは喫煙者が多く、父も家・会社関係なく煙突のように煙を吐き出していました。
それだけストレスの多い仕事だったのだと思います。
子供のころの父は日曜日に囲碁の番組を見ながらタバコを吸っていました。
テレビで巨人の試合を見てビールを飲んでタバコを吸っていました。
居間の柱を引掻けば茶色のネバネバが爪に付くほどで、そんな生活を40年も続けていたため、タバコを絶った後も肺気腫・肺線維症に悩まされていました。
私も中学生のころに「体操服がタバコ臭い。隠れて吸ってんじゃねえか?」みたいな言われようをしていましたので肺がダメージを受けているかもしれません。

母を愛し生真面目だった父

父と母は私が生まれる前に姉を亡くしていました。享年3歳で心臓の病でした。今と違い、募金を集めて海外へという事もクラウドファンディングもない時代でなんの手立てもなかったのだと思います。
その分、私や妹が生まれると喜び、大切に育ててくれました。
母も中年期に病を得て手術を要するような入院をし、服薬がないと生きていけなくなりました。
そんな母を見守りながら現役時の10%ほどにまで減ってしまった肺活量で自分の病(脳梗塞など)と闘いながら暮らしていました。
あまり贅沢をするでもなく、適度に使いながら悠々自適な生活をしばらくの間送っていました。
夫婦仲は良く、定年後にどこか行くときも一緒に行動していました。
定年からしばらくは東北やカナダ、台湾と精力的に旅行して休めなかった頃の時間を取り戻そうとしているようでした。
いい時代に金融機関をやめているので年金もいまの私がもらっている手取りよりも高い金額を支給されていましたし、退職金も多分今から同じ会社の人が受け取るよりも多く支給されていたのだと思います。

親不孝ばかりしていた私

中学生ぐらいまで成績の良かった私は何となく将来の目標を見失ってしまい、成績を落とした上に2回も留年して親不孝をしてしまったと反省しています。
父母の心配事といえば私達夫婦に子供ができないことでした。
その点でも親不孝を続けていましたが、2017年に念願の娘が生まれると非常に喜んでいました。

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